首都防衛シミュレーション

思考が切り開く新未来

率直なホンネ主義者 福和伸夫氏 による「 必ずくる震災で日本を終わらせないために。」 時事通信出版局 2019年  

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この書籍は建前論を排し率直な事実を分かり易く伝えている良著です。大変に参考になりました。

福和氏は民間の建設業界から学者に転向され、実務的かつ素直なスタンスで建造物の耐震化促進を中心に減災対応を追求されて来られた方です。
専門的な領域はそれはそれとして防災に対しての考え方の切り口としてのヒントに溢れた一冊だと思います。

日本人は基本的には真面目だと思いますのでそれぞれの立場の範囲内では実に防災面においても対策は進展して来ていることとも思うのですが、如何せんその ’立場の範囲’ 以外に対しては信じられ無い様な嘘偽りやまやかしが横行してしまっているのが現状であると言えるのでは無いでしょうか。

その現実認識を後押ししていただけたのが福和先生の言説と言うことになります。
以下わかりやすくポイントになる部分を抜粋し論じてみたいと思います。

● より良い答えの落とし所を探し出すために必要な事

福和氏は平成30年に内閣府が防災対策実行会議の下に設置した「南海トラフ沿いの異常な現象への防災対応検討ワーキンググループ」の主査を務められました。

それまでの東海地震中心の震災想定の時代から南海トラフ、首都直下型地震へとシフトし、また各省庁を束ねる形の新たな内閣府主導の政策論議という政府の方針転換との符合により中央防災会議の下に防災対策実行会議はスタートしました。

書籍本文中、若干の謙遜の意味も込めて自身がワーキンググループの主査を任ぜられた経緯について民間企業と学者の世界の両方を知る自身のキャリアを指摘し、誰しもが敬遠しがちな防災の事案に対し ’ より良い答えの落とし所 ’ を導くためには学者的なスタンスだけではなく民間企業で養ったバランス感覚が必要であると自身に言い聞かせたと述べています。

ボトルネックを洗い出すホンネの会

南海トラフ地震や首都直下型地震の危機が叫ばれる昨今、あらゆる主体(国、自治体、企業、等)において防災の責任者となる事は誰しもが気が重くなる事でしょう。
完璧な予測も対策も言わば実際には不可能でしょうし、それこそ東京に至っては危険さと巨大さにおいて破格の規模なわけですから。
どこかの時点で建前論に逃げ込みその人自身の立場を守って行かなければならなくなるのは仕方が無いのでしょう。学者であれば尚更自身の立場を優先せねば立居行かなくなるであろう事は容易に察せる所でしょう。
結局そういったスタンスによりあらゆる防災に関する事柄にボトルネック( 建前のみの空論 )が溢れかえってしまっている訳です
しかしそれでは自らを守ることが出来ないと立ち上がる主体が出てきます。

福和氏の地元、名古屋においては地元企業のトヨタが先鞭をつけることになります。

最小の ’官’ の単位である町役場と官民の防災面における情報共有をスタートする、そのきっかけを生み出したのが日本ナンバーワンの企業トヨタという訳です。
福和氏はその流れにおいて中心的な働きをされますがさらにそのきっかけを元に地元の経済界を中心に防災に関するボトルネックを洗い出すべく ’ ホンネの会' を立ち上げられます。
あらゆる関係性がある主体の有志を募り防災に関する協調関係の構築に乗り出し進展を観ます。
建築物、インフラ、行政機関等に関して現実的な情報共有体制の構築及び制耐震化促進の駒を進めて行かれます。
それらの実績が時の内閣府にまでインパクトを持ち中央防災会議においても重要な働きを信任される事となった訳です。

名古屋では出来ても東京では出来ない

その様な経緯で主に南海トラフ地震について書かれた書籍を刊行された福和氏ですがその文中に大変に考えさせられる一文を見出しました。
トヨタという大きな企業を中心に多くの主体が自らの防災意識を高め、対応を真剣に考えて連携して行く事を名古屋という風土に於いては可能性を見出す事が出来た。
地元に対する郷土愛や歴史に裏打ちされた風土を起点にすればそれぞれの立場も乗り越えられる事が出来ると分かった。

しかし東京ではそれは出来ない。それぞれのしがらみに縛られ互いにライバル視し争い合い郷土に対する愛情も希薄な土地柄だから。

という訳です。これには都民としては考えさせられます。

名古屋から財界のパイプを利用して東京もじわじわと改善して行くというやり方の可能性には触れられてはいましたが。それもいかがなものなのでしょうか。

・企業秘密だから情報共有が出来ない

トヨタ王国と呼ばれる中部地方に於いてその経済的な基盤を真剣に守る事を考えると言うのはある意味当たり前のことだとも言えるはずです。
インフラ、企業の設備、人員、エネルギー等産業構造をいざと言う時にいかに守るか。
ホンネで語り合い組し合う。そうして導き出された答えは‥

表には出せないそうです。重要な企業秘密を含むからだそうです。

名古屋においては一企業の主体性の方が国家機関以上の信頼を勝ち得ていると言う事でしょう。
しかしでは東京はどうすれば良いのでしょうか?

国家としての日本国というのはどの様な主体性を持ち得るのでしょうか?

色々と考えてしまいます。

より良い答えの落とし所 
( 誰も責任を取れない 確実な情報も出せない中での ) 

とは先ず共有され得る主体性を見定めるところから始めなければ見出せなさそうです。
政府って何? この会社って何? この専門家って何? この避難所ってどうなの?
から各々考えて行く必要がある。

これでは思考停止も止むなしと言ったところでしょう。

・それでもまだ東京に住みますか?

文中において福和先生の語り口を見てみますと南海トラフと首都直下型地震の対比が分かりやすい箇所が見受けられます。
震災直後の混乱を表現するのに ”一週間を楽しんで避難生活を送れば良い” 。こちらが南海トラフ地震
対して首都直下型地震は以下です。

首都機能維持の為に環七より内側のエリアは閉鎖するかも知れない
=大多数の被災者は放置と言う事でしょうか?

繋がりの希薄な人々の孤立化は必至
=あえて触れられていないだけの事。思考を停止しているだけ。

" さすがの日本でも大きな暴動が起きるかも知れません "
=外国の侵略に耐えられなくなるのでは?

つまり現状において東京に住むことはこと防災的な観点から見て自殺行為に等しいと述べられていらっしゃる訳です。
おそらく福和氏のみならず日本の識者諸氏の本音においては最早被災後の東京の放棄は織り込み済みなのかも知れないとも思われます。

少しの社会合意が取れるだけで安全度は格段に上がる

本文のP.63に "ちょっとの工夫で社会の安全度は格段に上ります。少しの社会合意が取れるだけでずいぶん多くの命を守れるはずなのです "とあります。
であるとするならばその社会合意の前提となる何事かを戦略的に補完しておけば良いということになります。西荻窪プランとはまさにそのコンセプトに基づいています。
この良著からヒントを得て考えたのがこのコンセプトと言う訳です。

社会合意=コンセンサスこそが武器

現代では情報ツール自体はとても進化した状態の社会が実現されているわけですから実際の機能的な何事かを提示し共有して行く事でプラスアルファの波及効果を求めて行く事が可能でもある訳です。
第二次世界大戦時代のファシストプロパガンダ(洗脳)を武器とした過去がありますが現代ではある意味もっとシンプルに ” 少しの社会合意 ” にあえてとどめておく様な戦略の方が力強いインパクトになる様な気がしています。
それにより主体間の円滑な連携性を逆に生み出すはずでは無いかと思うのです。
力めば逆に負の連鎖(潰し合い)です。

もちろん専門性や技術的な領域のそれらとは別枠の話ではありますが。

その為には徹底したホンネ主義、現実路線を以て戦略的に考え最悪の状況下においても機能するであろう コンセンサスの構築 に努めるべきでは無いでしょうか。

立場主義という欺瞞を許さない戦略を

満州国の経済史を専門として金融を通じた側面について研究する東京大学東洋文化研究所 安富歩 教授の現代日本論によれば、あらゆる空論に満ちた現代の日本にはそれぞれの立場(利権構造)を守ると言う原則以外存在せず、それらを偽善的なレトリックで保全しようとする ’ 立場主義 ’ こそが思想的実体として存在していると論じられています。

ja.wikipedia.org

 

それらの論点を導き出す際に現代の日本のエリート達の一部がよく使用するであろう言語体系を ’ 東大話法 ’ とし解説されています。
自らの利権、そこから得られる実益(天下り等の収入)の保全こそが優先事項であることを合法的に認めさせるためのテクニックとして一般化してしまっているいわばオレオレ詐欺のやり方(話し方)だと思います。
そういった風潮により、さらに巨大な利権調整の伏魔殿であろう大都市東京の防災面におけるボトルネック化が常態的に増大してしまってきていると言うことなのでしょう。誰も責任を取ろうとせず、意味の無い細か過ぎるセクショナリズムだけが蔓延しているのですから。
それが先程の福和先生の発言につながって行くとも思います。
しかしながらその様な話も実際の震災となれば全く無意味な論点となることは論じるまでもありません。いかに助け合うか、生き延びるか。いざとなれば人間の底力とは大きな力となるはずでは無いでしょうか。
空虚な現代日本の立場主義をしっかりと見据えた上での大人の戦略、つまりは’言葉’ですね。
そこに今からでも注視しておくべきでは無いでしょうか。

優先順位という欺瞞を許すな 命を守るか社会を守るかの時系列的欺瞞こそ盲点

後述しますが各行政機関における震災シミュレーションを精査するとある種の時系列的な推移が予測されています。それは以下の様な物です。

3日目までは人命、そのあとはインフラ 

つまり震災初動は命を守るが次第に社会(インフラ)を守るように切り替えていかざる負えないはずだ、と言うパターンの予測がチラホラ見受けられるのです。3日過ぎたら人命は軽んじられても致し方無しと言う様な物言いでしょうか。
福和先生の予測にも同様な論調も見られます。各主体はそれぞれの優先順位を探って復興プロセスを進行して行くはずだと言うニュアンスの見解です。

さあ、これに先程の立場主義者が乗っかたらどうなるでしょうか?
まるで昔のプロレスの反則技の様なものでポーズだけを見せたらその後は大手を振って自分たちに都合が良い方向へシフトさせて行く事が正当化されてしまうのでは無いでしょうか。
さすがの日本でもと暴動すら懸念される福和先生の懸念が的中してしまわない様に今から少しでも備えておきたいものです。
もちろん社会を生かす事、その重きは当然であるとは言えです。

生き残る可能性のある人命を切り捨てる事など絶対に許してはいけないと思います。

阪神淡路大震災における神戸での人々の行動

大変に参考になる事例があります。私の父が震災直後(2日目)の神戸へ行った時の事です。不謹慎ではありますが野次馬としてです。
詳細は父もうろ覚えなのですが何しろ神戸の駅近くまで行ったそうです。凄まじい状況だった様です。そこで見たのは30〜40人程度に集まっている人々の様子でした。
その集団は集まり何事かを相談、話し合っていたそうです。そして一見して野次馬と思しき父を見るや否や皆で厳しい表情で父を睨みつけてきたそうです。そのような集団は周辺に沢山見受けられたそうです。
父は流石に居た堪れずそそくさと退散、早々に帰路についたそうです。
しかしこれはリアルな情報と感心しています。

瓦礫の山と崩壊した地域の住民達はまずは単独行動を避ける様に信頼おける知人などを頼りにしてかグループ形成をし身の保全を図るのです。
その場合適当な人数は30〜40人と言う事なのでしょう。

これがまず基本になる 主体の形成プロセス です。

次にグループ内の秩序を形成し周囲の状況(主体の形成状況)を分析して自分達の主体性(どこに行くのか、何をするのか、誰に付くのか)を模索していたのです。

このプロセスを一つのロールモデルとして考えて行くことにしようと思います

ホンネの会を立ち上げ中部地方から全国に防災の知恵の拡散に尽力される福和先生の考え方にも通底するリアリズムを観て取れます。
本当に何と何が絡み合うのかを一つ一つ積み重ねるように把握してゆくのです。
情報の洪水に距離を取り冷静かつ実直に実効性を求めて行きましょう。

次号、さらに考察を深めます。

最後までお読みいただきありがとうございます。